The miracles of science™

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DuPont in Japan
 
はじめに 
第1章 ビジョンと製品 
第2章 家族経営とアメリカの発展 
第3章 ビッグ・カンパニー 

第4章 新たなる消費者への対応 
第5章 発見
第6章 科学と豊かな社会 

第7章 社外に展開し、社内を省みる 
第8章 方向性を探る 
第9章 持続可能な成長への道 



  舞台は1942年11月のウィルミントン、デュポン社会議室。演者はデュポン社経営委員会の面々と、米陸軍工兵隊の建設主任レスリー・グルーブ准将。この見慣れぬ人物は、以前軍のプロジェクトにおいてデュポンとともに作業したことがあった。その経験から、准将は自分が負った極秘任務の遂行者としてデュポンに白羽の矢を立てた。彼が責任者となっている通称「マンハッタン計画※」は、原子爆弾のためにプルトニウムとウランを製造するというものだった。社長であり委員長のウォルター・S・カーペンター・ジュニアは悩んだ。グルーブの要請は、せっかく払拭した「死の商人」というレッテルを再び思い出させることだった。また、副社長のウイリス・ハリントンとチャールズ・スタインは驚愕した。それは、危険である以上に実現不可能なプロジェクトに見えたのだ。舞台はいつまでも静まりかえっていた…。

※マンハッタン計画:第二次世界大戦中の米国の原爆開発・製造計画のコードネーム。その初期研究が主にマンハッタン工兵地区で行われたためそう呼ばれた。1942-46年まで続いたこの計画のコストは約18億ドル、今日に換算すると200億ドル以上という巨額に上った。